日本社会保障の歴史

1 はじめに
私はブログを書き始めてから6年になりますが、
「自分はこのように考えている」と言うことを
不特定多数の人に明確に伝えることができることが
一番のメリットだと考えています。
いつも心がけているのは「自分はここまで分っている。
しかし、ここからが分らない」と言うことを考えながら
書いています。今日は社会保障とリハビリテーションの歴史について書きます。

2 日本の社会保障の歴史
1945年8月GHQは社会保険法と共に
福祉三法(生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法)
を成立させました。
第二次世界大戦で敗戦し国民総飢餓状態となり、
戦災者、引揚者、失業者、母子孤児、障害者、復員軍人、
浮浪者の生活苦は深刻なものでした。

1946年日本国憲法が公布され
日本国憲法第25条が制定されました。
我が国で社会福祉という言葉が初めて使われています。
「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。
国民は生存権(生活権)「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」
を保証されていると同時に国はそれを実現するために国民の生活全面に渡って
社会保障や公衆衛生と並んで社会福祉の充実に努めなければならないという
国に対する努力義務が規定されています。

日本の国民皆保険制度が誕生したのは1961年(昭和36年)のこと。
1958年(昭和33年)に国民健康保険法の制定されたのを受け、
1961年にスタートしました。

1994年厚生統計協会編「国民の福祉の動向」では
社会保障は
所得保障(社会保険、公的扶助、児童手当)
医療保障(医療保険、老人保健、医療扶助、公費負担)
公衆衛生(一般保険サービス、医療供給、生活環境対策、
環境保全、学校保健、労働衛生)
社会福祉(生活保護、老人福祉、母子及び寡婦福祉、
児童福祉、心身障害者福祉、その他の福祉関連保険サービスなど)
と規定されています。

3 戦後の日本の社会保障の変化の特徴
社会保障は広範囲すぎるので医療の動向を私なりに
書きたいと思います。
私は理学療法士なので、リハビリテーションが日本に
導入されたことを一番にあげたいと思います。
私が今まで医療現場で働いていて一番大きな出来事は
1990年代に導入された介護保険でした。
私は日本が介護保険制度を導入する時に
ケアマネージャーの資格を取得しました。
その当時、小泉純一郎元総理でした。
小泉総理は「既得権益の打破」「民間でできることは民間に」
「介護に民間企業の参入を促し自由競争を取り入れて国民に
質の良い介護サービスを提供する」
というスローガンを掲げて介護保険法を成立させました。
理学療法士の仲間の間で「ケアマネの資格を取れば介護施設を設立できて
事実上の開業ができる」とケアマネの資格の取得が促されました。
その当初は介護保険制度がどのようになるか誰も分りませんでした。
私の勤務していた病院でケアマネと理学療法士が
兼務できないか試みましたが、
介護保険制度の導入後5年くらいしてケアマネと他の
職種との兼務は出来ないと通達がありました。

1 リハビリテーションの歴史
リハビリテーションの語源はラテン語で、「Re」は再び、
「habilis」は人間らしく生きる、再びできるようになるという意味です。
その後、長い歴史の中で使用法が変化し、権利の回復、名誉の回復など
様々な意味に使われてきました。
現在、我々が使用している障害者に対する、機能回復、能力向上、社会復帰という
意味に使われるようになったのは、障害者が多発した戦争を契機とし、
第一次世界大戦から第二次世界大戦後に広く定着しました。

2 ノーマライゼーション(ウィキペディアより)
ノーマライゼーションまたはノーマリゼーション
(英語: normalization)とは、1950年代に北欧諸国から始まった
社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障害者も、健常者と同様の生活が
出来る様に支援するべき、という考え方である。
また、そこから発展して、障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、
社会生活を共にするのが正常なことであり、
本来の望ましい姿であるとする考え方としても使われることがある。
またそれに向けた運動や施策なども含まれる。

リハビリテーションとノーマライゼーションは非常に広い範囲で用いられます。
両者は障害があっても、それ以外の残された能力、環境などを改善することにより
障害者も健常人以上の自己実現できるという概念です。
始まりはアメリカで戦傷者の社会復帰が促進された頃からです。
現代のリハビリテーションの範囲は非常に広く、
スポーツ選手の競技復帰から高齢者の集団リハビリも含まれます。

3 医学的リハビリテーションの歴史
医学的リハビリテーションは治療医学、予防医学についで
第三の医学と言われています。
千野直一先生の「現代 リハビリテーション医学」から
リハビリテーション医学の歴史についてまとめてみました。

リハビリテーション医学の定義
リハビリテーション医学とは、物理医学とリハビリテーションという
一見全く異なるように見える2つの医学分野が統合されたものである。
物理医学とは、古来より医療の中で用いられてきた。
運動療法、電気、温熱、光線、装具療法等を用いて、
運動機能障害の患者の治療、診断等に用いられてきた。
リハビリテーションとは、患者を身体、心理、社会職業的に最大レベルまで到達させることである。
リハビリテーション医学は種々の疾患によって生じた運動系の障害を物理医学的手段により、
診断と治療を施し患者に生きがいある社会的生活を送れるように援助する専門医学分野である。
としています。
リハビリテーション医学は1947年米国専門医制度が発足が一つの出発点となり、
リハビリ医学が米国において、
独立した専門領域、内科、外科、小児科などの医学分野と同じように認められたそうです。
米国での専門医制度の正式名称は、Physical medicine and Rehabilitation(PM&R)で、
リハビリテーション専門医は、Physiatrtstと呼ばれました。
専門医制度はこの領域の対象となる運動機能障害をもつ患者のほとんどが自宅、職場地域社会への復帰、
すなわちリハビリを必要とする人達でした。
そのため物理医学専門医制度にリハビリの分野が加わり、
1949年PM&R(物理医学とリハビリ専門医)となったそうです。
このとき活躍したのが、リハビリテーション医学の父とも言える、
ハワード・A・ラスク教授でした。
1950年にニューヨーク大学メディカルセンターに物理医学とリハビリテーション研究所を設立しました。
その頃、ラスク教授が執筆した「リハビリテーション医学(Rehabilitation Medicine)」
が現在の医学的リハビリテーションの原点と言っても過言ではありません。
「リハビリテーション医学(Rehabilitation Medicine)」の序文でラスク教授は
「脊髄損傷の車椅子患者の上肢は健常者に比べてはるかに強い」と力強く語っています。
本文ではリハビリテーションチームの在り方を初めて記述し、
リハビリテーションDR、PT、OT、看護師、メディカル・ソーシャルワーカーの役割とその方法を明記し、
医学的リハビリテーションのチームアプローチの基礎を確立しました。

4 現在の状況
医学的リハビリテーションは各医療機関で医師が処方して理学療法士、作業療法士、
看護師、ソーシャルワーカーが役割分担して各専門職の技術を用いて患者さんの家庭復帰、
社会復帰を実現します。

以上、日本の社会保障とリハビリテーションの歴史について述べました。