コンピューターはどこまで進化するのか

Microsoft Bing AIチャットで
産業革命とIT革命を調べました。

産業革命は、18世紀から19世紀にかけて、
人類の歴史において重要な出来事でした。
以下に、産業革命についての要点をまとめてみましょう。

背景と始まり:
産業革命は、イギリスを中心に始まりました。
農業から工業への移行が進み、新しい機械や技術が導入されました。
蒸気機関、紡績機、織機などの発明が、生産性を飛躍的に向上させました。
工場制度の確立:
工場制度が広まり、労働者は工場で労働するようになりました。
これにより、大量生産が可能となりました。
労働者の労働条件は厳しく、労働時間が長く、賃金は低かったです。
交通・通信の発展:
鉄道、蒸気船、電信などの発明により、交通と通信が改善されました。
これは市場の拡大に寄与しました。
社会的変化:
都市化が進み、人々は田舎から都市へ移住しました。
階級間の格差が広がり、新興の中産階級が登場しました。
経済的影響:
産業革命は経済を変革し、国内外の貿易が活発化しました。
資本主義経済の基盤が築かれ、市場経済が発展しました。
産業革命は、技術革新と社会的変化をもたらし、
現代社会の基盤を築いた重要な時期でした。

IT革命(情報技術革命)は、コンピュータやソフトウェア、
データ通信回線などの情報技術(IT)の発展と普及に伴い、
社会の様々な側面に急激に押し寄せる不可逆で巨大な変化を指します1。
この革命は、情報技術が広範な社会需要に直結し、
全人類の生活を大きく変えることに至りました。

元々は、イギリスの科学者でマルクス主義者である
John Desmond Bernalが1939年の著書で最初に用いた言葉でしたが、
現在ではマルクス主義とは別に広く定着しています。
情報革命は、それに先立つ農業革命と工業革命の二者と相対的な概念であり、
情報が土地や工場の支配的地位を揺るがした時点に
情報革命の端緒があるとされています1。

一般的に知られるIT革命は、1990年代末から2000年代初頭にかけて、
情報技術が急速に発展し、全人類の生活に大きな変化をもたらした時期を指します。
この革命は、情報技術の発明から潜在的に進展してきたものであり、
情報理論の提唱や計算機の発明などがその前史となっています2。

情報革命は、私たちの日常生活やビジネス、
社会全体に大きな影響を与えており、今後もさらなる進展が期待されています。

私は61歳なので子供の頃からテレビはありました。
日本は高度経済成長期で7歳の時、大阪万博で
未来はこんなに明るいと日本の誰もが信じた時代でした。
親と一緒に日本館、アメリカ館、ソ連館などを何時間も並んで
見ました。
月の石が話題でしたが見ると、その辺に落ちている
ただの石と変わらないと子供心に思いました。
高校生の時、インベーダーゲームとウオークマンが発売され
機械文明は頂点に達したのではないか?と思うくらいでした。
アメリカのドラマ「バイオニック・ジェミー」「チャーリーズ・エンジェル」などの
ハリウッド映画はピークを迎え「スターウォーズ」「未知との遭遇」を見て
高校を卒業したら外国に1年くらい行き英語を学びたいと
夢をみました。
トモ・コミュニケーションという留学斡旋会社がイギリスの
コミュニケーション・サービス・ボランティアという組織と
提携して働きながらイギリスで1年生活でき英語が学べるという
プログラムを知りました。
大学に入り留学資金を稼ぐためにバイトばかりしていました。
大阪の日本橋のでんでんダウンでラジカセとウオークマンなどを
売る売り子のバイトは良い時給をくれて2年間で
コミュニケーション・サービス・ボランティアに参加出来るだけの
旅費を貯めることが出来ました。
親と高校の先生にかなり反対されましたが
20歳という若さがそうさせたのか大学を中退して
伊丹空港からヒースロー空港に降り
イギリス生活が始まりました。
語学学校に1ヶ月ホームステイしながら通い
障害児施設、精神病院で働きました。
泊まるところと食事は施設が出してくれお小遣いも
週に当時4000円ほど出ました。
日本では考えられないくらいヨーロッパは国と国を簡単に
通ることが出来ました。
1年間で3回ほどパリにフェリーを使いルーブル美術館など
にいきました。
ボランティア期間が終わり日本に帰る前に
ユーロチケットというヨーロッパの鉄道を一定期間、
割安で使えるチケットがありロンドンからパリ、
ハンブルグ、チューリッヒ、ローマと南下して
ローマからロンドンに帰りロンドン・ガトウィック空港から
エジプト航空でカイロを経由して成田に帰りました。
ここまで関税を何度も通りましたが検査らしい検査は
全くありませんでした。
俺、日本人だし成田に帰れば歓迎してくれるだろうと
思っていたら成田の関税は
私の手荷物を全て鞄から出して「お前、変な薬とか本とか持ってないだろうな!!!」と
犯罪者扱いで大阪に帰っても大学を中退して
イギリス・ボランティア留学した若者を暖かく迎えてくれるところは
ありませんでした。
奇抜なことをするものを排除するという文化は
40年前から日本は全く変わっていないところです。
イギリスの障害児施設でボランティアをして理学療法士という仕事を
知り日本に帰ったら日本で理学療法士の資格を取る決意をしていました。
22歳でリハビリテーション学院に入学し
25歳で理学療法士として働きました。
イギリスのボランティアの実績は何一つ評価されず、
「変わり者」というレッテルだけを何年も背負いました。
コンピューターとは無縁だったのですが
大阪日本橋のでんでんダウンでバイトしていた頃から
コンピューターはありましたが
今のようなパソコンでなく電卓が進化した程度でした。
「コンピューターってこの程度」と思っていましたが、
就職した頃からワープロが出現しました。
若い理学療法士としては活字で資料が作れたりすると
職場で受けが良かったので使いました。
年賀状と職場の資料を作る程度でしたが
ウインドウズ95が発売されるとコンピューターが世界を
変えることになります。
Microsoft Officeは革命的で「ホワイトカラー受難の時代」と言われ
Word、Excelでほとんどの事務作業がパソコン所有者ならできる
時代がきました。
それまでであれば印刷屋さんに頼まないと出ない
名刺、郵便物、書類が自分でできるようになりました。
そしてAIの時代が来ました。
ファミリーレストラン、回転寿司チェーン店では
呼び出しをAIが行い精算は自動精算です。
スーパーでも店が気を付けるのは万引きくらいとなりました。
万引きもAIが発見し警備員が知らせをを受け
現場を取り押さえるとうい時代がすぐに来ています。
産業革命から機械化が進みどこまで進むのでしょうか?
40年でこれだけ変わってので
コンピューターを使えるものと使えないものとの
格差が現れる時代が来ると私は予想しています。

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